花札と こいこいの 歴史
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花札(はなふだ)は、12か月の草花を4枚ずつ描いた、48枚一組の日本のかるたです。48枚という構成は、16世紀にポルトガルの商人が伝えたカードの名残と考えられています。江戸時代にはカルタを使った賭博がたびたび禁じられましたが、18世紀後半には花札が出回り、明治18〜19年(1885〜86年)ごろに販売がおおやけに認められました。1889年には、のちの任天堂が京都で花札の製造を始めています。2人で遊ぶ定番の「こいこい」は、20世紀に広まった比較的新しい遊び方です。
年表で見る花札の歴史
主なできごとを年表にまとめました。くわしい内容と出典は、それぞれの節で紹介しています。
| 年代 | できごと |
|---|---|
| 16世紀半ば | ポルトガルの商人がカードを伝える。「カルタ」はポルトガル語の「carta」に由来 |
| 1573〜1592年 | 天正年間に国産のカルタが作られる(のちの「天正かるた」) |
| 1648年 | 江戸の町触でカルタ博奕が禁じられる。以後もたびたび禁令が出る |
| 1681年 | 75枚の「うんすんカルタ」が文献に現れる |
| 1700年ごろ | 雅な「花合せかるた」が遊ばれる。土佐光成の作と伝わる一組が現存 |
| 1791年 | 寛政の改革で「博奕専用のカルタ」の売買が禁じられる |
| 1831年 | 江戸の通達で、花かるたが「めくり札と紛らわしい品」とされる |
| 1885〜86年 | 花札の販売がおおやけに認められる |
| 1889年 | 山内房治郎が京都で花札の製造を始める(任天堂の始まり) |
| 1890年代 | 「八八花」が全国の標準になる。朝鮮半島にも花札が広まる |
| 1902年 | 骨牌税が施行され、小さな製造元の廃業が相次ぐ |
| 1920年代 | 東京でこいこいが流行し始めたと伝わる(賭博の世界の証言で、裏づけは少ない) |
| 1950〜58年 | こいこいが一般に知られるようになり、1958年に書籍でルールが紹介されたといわれる |
| 1960〜70年代 | 韓国で「ゴーストップ」が生まれ、国民的な遊びになる |
| 1989年 | 消費税の導入に伴い、骨牌税の後身「トランプ類税」が廃止される |
| 2024年 | 京都府宇治市にニンテンドーミュージアムが開館 |
南蛮カルタから天正かるたへ
日本にカードゲームが伝わったのは16世紀半ば、ポルトガルとの交易が始まったころのことです。「カルタ」という言葉も、カードを意味するポルトガル語の「carta」に由来します。[1][2]当時のポルトガルの札は、棍棒・刀剣・聖杯・金貨の4種の紋標(スート)に各12枚、計48枚という構成でした。[2][3]この札は天正年間(1573〜1592年)ごろには国内でも作られるようになり、のちに「天正かるた(てんしょうかるた)」と呼ばれるようになります。[2]

産地として名高かったのが、筑後国三池(ちくごのくに みいけ)、いまの福岡県大牟田市です。兵庫県芦屋市の滴翠(てきすい)美術館には、現存する最古の国産カルタとされる天正かるたが1枚だけ残っており、裏には「三池住貞次」(三池に住む貞次)の銘が記されています。その後、カルタづくりの中心は一大消費地の京都に移りますが、当時の文献には「よきものは三池」という評判が書き残されています。[1]大牟田市では1991年に三池カルタ記念館が開館し、2006年に市の歴史資料館と統合して、現在の三池カルタ・歴史資料館になりました。同館は自らを「日本で唯一のカルタ専門資料館」と紹介しています。[4][5]

花札が48枚なのは、このポルトガル式カードの名残だと考えられています。[6]
うんすんカルタ ― 日本風に育ったカード
天正かるたをもとに札の数を増やし、日本で独自に発展したのが「うんすんカルタ」です。5つの紋標に各15枚、計75枚からなり、福の神の「ウン」や唐人の「スン」といった独自の絵札が加わりました。文献では延宝9年(1681年)までさかのぼることができます。[7]
うんすんカルタはやがて各地で廃れましたが、熊本県人吉市では遊び方が受け継がれ、1965年に熊本県の重要無形民俗文化財に指定されました。かつては「うんすんカルタから天正かるたが生まれた」とする本もありましたが、実際はその逆です。[7]任天堂も花札の歴史について、安土・桃山時代の「天正かるた」、江戸時代前期の「ウンスンカルタ」を経て、江戸時代中期に現在の花札ができたと紹介しています。[8]
禁令との「いたちごっこ」と花かるたの誕生
カルタはまもなく賭け事の道具として広まり、江戸幕府は繰り返し禁令を出しました。慶安元年(1648年)には江戸でカルタ博奕を禁じる町触が出され、その後も同じような触れが続きます。[2][3]賭博の側も、遊び方や札の絵柄を変えては取り締まりをかわしました。「よみ」に続いて流行したのが「めくり」で、明和から安永年間(1764〜1781年)にかけてめくりカルタが大流行すると、安永年間には厳しい取り締まりが行われます。[2]さらに寛政の改革(1787〜1793年)のさなか、寛政3年(1791年)の町触で、きんご・よみ・めくりという「博奕専用のカルタ」の売買が禁じられました。[9]
通説:歌かるたに見せかけた花かるた
一方で、百人一首のような歌かるたは教育的なものとして認められていました。そこで、札に古歌を書き添えて歌かるたのように見せかけた「花かるた」が生まれた――これが長く語られてきた通説です。寛政の改革で賭博系のかるたが禁じられたため、天正かるたの48枚という構成に、教養のための「花鳥合せ」の絵柄を組み合わせて代用品が作られた、という説明です。[10]今の札で赤短の短冊に文字が書かれているのも、この偽装の名残だといわれます。
新しい見方:雅な「花合せかるた」から
ただし近年、この通説には異論も出ています。カルタ研究者で日本かるた文化館館長の江橋崇(えばし たかし)氏は、元禄から宝永年間(1688〜1711年)ごろには、100種の花を4枚ずつ描いた400枚もの「花合せかるた」が、身分の高い女性たちの雅な遊びとして存在していたと指摘します。土佐光成(とさ みつなり)の作と考えられる一組も現存しています。[12]それが享保年間(1716〜1736年)までに12か月・48枚の形にまとまり、木版刷りの花札「武蔵野(むさしの)」も寛政の改革より20年ほど前から出回っていたとして、江橋氏は「めくりカルタの代用品として生まれた」という説そのものを否定しています。[12][13][14]一方で、「武蔵野」を安永〜寛政年間(1772〜1801年)のものとし、めくりカルタの代用品とみる見解もあります。[2]

どちらの説に立つにしても、18世紀後半には48枚の花かるたが流通し、19世紀に入ると取り締まりの対象として史料に登場します。天保2年(1831年)には、品川宿や新吉原の名主に対し、花かるたは「めくり札と紛らわしい品」なので買わないよう通達が出されました。天保13年(1842年)の京都の町触も、花合わせを賭け事に使うことを戒めています。[6]

初期の花札の呼び名「武蔵野」は、芒の原がどこまでも広がる武蔵野の風景にちなむといわれます。「武蔵野は月の入るべき山もなし 草より出でて草にこそ入れ」とうたわれた情景は、今も8月の「芒に月(すすきにつき)」に受け継がれています(上の図の、1月から数えて8枚目)。[15]
明治の解禁と「八八花」の成立
明治に入ってからもしばらく、花かるたは禁制品でした。しかし明治15年(1882年)に施行された刑法には、花かるたについての規定がなくなります。[6]明治18年(1885年)11月には、大阪の前田喜兵衛が東京・京橋に「八八屋花戦堂」を開くにあたって内務省に届け出ており、翌明治19年(1886年)にかけて、花かるたの販売は事実上おおやけに認められていきました。[6][16]
このころ前田喜兵衛は、花かるたのイメージを良くしようと、京都や大阪の製造元に働きかけて11月の光札を描き替えさせたと伝えられています。それまで描かれていた「雨降り小僧」は、世間では『仮名手本忠臣蔵』の盗賊・斧定九郎(おの さだくろう)と見なされていました。これを平安時代の能書家・小野道風(おののみちかぜ、894〜966年)に替えたのです。[6][17]柳に何度も飛びつく蛙の姿を見て、道風が努力の大切さを悟ったという逸話にちなみ、札には今も蛙が描かれています。[18]
明治期には3人で遊ぶ「八八(はちはち)」が大流行し、この遊びのために作られた、くっきりとした図柄の「八八花(はちはちばな)」が全国に広まりました。明治20年代の後半には、これが現在の花札の標準として定着します。[6][10]花札は庶民だけでなく、政財界の社交の道具にもなりました。明治25年(1892年)には、大審院長の児島惟謙(こじま いけん)らが芸妓を相手に花札賭博をしていたと報じられた「司法官弄花事件」が世間を騒がせます。懲戒裁判では全員が免訴となりましたが、児島は辞職に追い込まれました。[6]
一方、各地には「地方札(ちほうふだ)」と呼ばれる独自の図柄も生まれました。新潟の越後花、北海道の北海花、岡山の備前花、徳島の阿波花(金時花)、東北の山形花や花巻花などです。その多くは実は京都で作られていましたが、昭和初期までにほとんどが姿を消し、八八花に統一されていきました。[6][10]
任天堂と京都のかるた屋
明治22年(1889年)、山内房治郎(やまうち ふさじろう)が京都市下京区で花札の製造を始めました。これが現在の任天堂の始まりです。同社の沿革によると、1902年には日本で初めてトランプの製造に着手しました。また、1947年に設立された株式会社丸福(現・任天堂株式会社)が、1951年に「任天堂骨牌株式会社」、1963年に現在の「任天堂株式会社」へと社名を改めています。[19]「骨牌(こっぱい)」はカルタや麻雀牌を指す言葉で、後で紹介する骨牌税の「骨牌」と同じです。[20]
任天堂は今も、「大統領」や「福天狗」の銘柄の花札、マリオ花札などを販売しています。[21]社名の「任天堂」は「運を天に任せる」という意味だと説明されることがありますが、確かな史料による裏づけはありません。[22][23]
寛政12年(1800年)創業の大石天狗堂(おおいしてんぐどう)など、江戸時代から続く老舗とともに、京都は花札づくりの中心地になりました。[24]1965年の『京都府産業の展望』には、全国のカルタ生産の95%以上を京都市内の業者が占めていたと記されているといいます。[6]
このサイトは、任天堂その他のかるた製造元とは関係ありません。
骨牌税 ― 花札の姿を変えた税
明治35年(1902年)4月5日、骨牌税法(こっぱいぜいほう)が公布され、同年7月1日に施行されました。[16]課税の対象はカルタのほか花札・トランプ・麻雀牌で、当時カルタはぜいたく品とされていました。札には一組ごとに20銭の証紙を貼ることが義務づけられ、製造者には製造所一か所につき60円が課されました。製造は免許制となり、無免許で作った者には300円以上1,000円以下という重い罰金が科されました。国税庁によると、日清戦争後の国家財政を支えていた外債の募集が滞ったため、それに代わる財源として、砂糖消費税などとともに導入された新税の一つでした。[20]
この税は業界に大きな打撃を与えます。京都骨牌製造業組合の代表を務めた山内房治郎は、明治31年(1898年)ごろまで京都市内に40ほどあったカルタ製造業者が、骨牌税の実施後は11に減ったと報告しているといわれます。[6]地方の小さな製造元は次々に廃業し、地方札の衰退と、京都・大阪の業者による寡占が進みました。[6][16]
骨牌税は昭和32年(1957年)に「トランプ類税」と改められ、平成元年(1989年)の消費税導入に伴って廃止されました。[20]製造免許の制度もなくなり、誰でも花札を作れるようになったことで、さまざまなキャラクター花札が登場します。[6]
海を渡った花札
花札は日本の外にも広がりました。朝鮮半島には、日清戦争(1894〜1895年)のころに日本の兵士らによって大量に持ち込まれたとされ、大正期には朝鮮での需要が日本国内を上回るほどだったといいます。[25]韓国では今も「花闘(ファトゥ)」として親しまれています。札はプラスチック製が主流で、11月と12月の札が日本とは入れ替わっています。[3][6]こいこいと同じ系統の遊び「ゴーストップ」は1960年代に生まれ、1970年代から国民的な遊びとして広まりました。[26][27]
ハワイには、1885年に始まった官約移民とともに花札が渡りました。熊本(肥後)出身の移民が多かったことから「肥後花」の遊び方が伝わり、「さくら」と呼ばれる独自のゲームが生まれています。[6][28][29]第一次世界大戦後に日本の委任統治下にあったパラオでも、花札は「ハナクダ」の名で今も遊ばれており、2人ずつ組になって遊ぶことが多いそうです。[6][28]
こいこいの誕生と広がり
今日、花札の遊び方として広く知られているのが「こいこい」です。2人で対戦し、手札から出した札と山札からめくった札を、場にある同じ月の札と合わせて取り、「役」を作って得点を競います。自分の番を終えた時点で新しい役ができていれば、そこで「勝負」して得点するか、「こいこい」と宣言してさらに大きな役を狙うかを選べます。この「こい(来い)」という掛け声が、遊びの名前の由来です。[30]
こいこいは、ほかの花札の遊び方に比べると歴史の浅いゲームです。井出英雅の『やくざ事典』は、大正14年(1925年)ごろから東京で流行し始めたと記しています。[31]戦前に神奈川県警の刑事として賭博捜査にあたった半澤寅吉は、こいこいは福島県会津地方の発祥で、昭和3年(1928年)ごろに東京方面へ伝わり、賭場で本勝負の前の「気付け」として遊ばれたと書いています。[32][33]ただし、こうした起源の話はいずれも賭博の世界の証言で、裏づけとなる史料は多くありません。
こいこいが一般に知られるようになったのは昭和25年(1950年)ごろで、昭和33年(1958年)刊行の『トランプと花札 その遊び方五十種』で初めて書籍にルールが紹介されたといわれます。平成6年(1994年)ごろからは、任天堂の花札に「現代のこいこい」のリーフレットが付くようになったそうです。[33][34]
3人で遊ぶ「八八」や「花合わせ」では、取った札の点数(光札20点、タネ札10点、短冊札5点、カス札1点)を合計して競います。これに対してこいこいは札の点数を数えず、役だけで勝負が決まります。なお、花札の点数は「文(もん)」という単位で数えることもありますが、このサイトでは「点」と書いています。[33]
「こいこい」をすればさらに得点を伸ばせる一方、相手が先に役を作って勝負すれば、自分の得点はなくなります。このわかりやすさと駆け引きのおもしろさから、こいこいは2人用の定番になりました。任天堂も、こいこいを「花札で一番有名な遊びかた」と紹介しています。[8]また、韓国のゴーストップはこいこいとよく似たルールのゲームですが、江橋崇氏は、現代のこいこいのルールにはゴーストップから取り入れられた部分があると指摘しています。[26][33]
ポップカルチャーの中の花札
花札とこいこいは、現代の映画やゲームにもたびたび登場します。細田守監督のアニメ映画『サマーウォーズ』(2009年)では、ヒロインの夏希が、世界中の人々のアカウントを賭けて、仮想世界の人工知能「ラブマシーン」にこいこいで挑みます。[37][38]
任天堂は、ニンテンドーDSの『だれでもアソビ大全』(2005年)や、Nintendo Switchの『世界のアソビ大全51』(2020年)にこいこいを収録しました。[33][39]2024年10月2日には、京都府宇治市にニンテンドーミュージアムが開館しています。建物はかつての任天堂宇治小倉工場で、1996年から2004年まではトランプやかるたなどがここで作られていました。館内では、花札を作って遊べるワークショップも行われています。[8][40][41]
セガの『龍が如く』シリーズでは、賭場で遊べるミニゲームとしてこいこいがたびたび登場します。[42][43]『鬼滅の刃』の竈門炭治郎が着けている「花札のような耳飾り」も、花札の意匠がいかに身近なものかを物語っています(ただし、耳飾りの図柄は実際の花札の札ではありません)。
むすび ― 江戸の座敷からブラウザへ
南蛮渡来のカードに始まり、禁令をかいくぐり、課税に揺さぶられながらも、花札は400年あまり日本人の暮らしのそばにありました。わずか48枚の札に、正月の松、春の梅と桜、秋の月と紅葉、菊酒や花見といった季節の行事、そして和歌や故事が折り重なっています。
このサイトでは、こいこいをブラウザで遊べます。コンピュータとの練習ならアカウントは不要で、Googleでログインすれば友達を部屋に招待して対戦することもできます。札の種類や点数は「花札とは」のページで、48枚すべての絵柄は「絵柄一覧」で紹介しています。
参考文献
- カルタと大牟田の歴史、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館
- 天正かるた、ウィキペディア日本語版
- Hanafuda、ウィキペディア英語版
- 当館について、大牟田市立三池カルタ・歴史資料館
- 大牟田市立三池カルタ・歴史資料館、大牟田市
- 花札、ウィキペディア日本語版、国立国会図書館所蔵の一次史料を引用
- うんすんカルタ、ウィキペディア日本語版
- 歴史・遊びかた|花札・株札、任天堂
- (二)寛政の改革によるカルタ博奕の禁制、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- 花札、村井省三『改訂新版 世界大百科事典』平凡社(コトバンク)
- 花札の謎シリーズ! 赤短『あかよろし?』、大石天狗堂(ブログ)
- (二)花合せかるたの百紋標の内容、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- (三)木版花札「武蔵野」の登場、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- 花札(ものと人間の文化史 167)、江橋崇、法政大学出版局(2014年)、国立国会図書館サーチの書誌
- (四)「武蔵野」という名称の由来、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- 一.骨牌税法の制定、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- 花札の謎シリーズ!11月札『柳に小野道風(おののとうふう)』、大石天狗堂(ブログ)
- 小野道風、ウィキペディア日本語版
- 会社の沿革、任天堂
- 一杯一杯の財政とこっぱい税(答え)、国税庁 税務大学校(税の歴史クイズ)
- 花札・株札、任天堂
- Nintendo、ウィキペディア英語版、歴史の節(Sheff 1999、Gorges 2015を典拠とする)
- “Nintendo” Probably Doesn’t Mean What You Think It Does、Brian Ashcraft(Kotaku)
- 京都大石天狗堂、大石天狗堂
- (二)植民地朝鮮における花札の流行、日本かるた文化館(館長 江橋崇)
- Go-Stop、ウィキペディア英語版、江橋(2014)と韓国国立民俗博物館を典拠とする
- Encyclopedia of Korean Seasonal Customs、韓国国立民俗博物館(2014年)、103ページ(ゴーストップ)
- Games played with Flower Cards、John McLeod(pagat.com)
- Hanafuda – Hawaii style、West Hawaii Today(2012年2月5日)
- こいこい、『精選版 日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』(コトバンク)
- やくざ事典、井出英雅(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 賭博:花札・さいころ・イカサマ手口、半澤寅吉(国立国会図書館デジタルコレクション)
- こいこい、ウィキペディア日本語版
- トランプと花札 その遊び方五十種、スポーツ新書(国立国会図書館デジタルコレクション)(1958年)
- 花札の謎シリーズ!10月札『鹿に紅葉』、大石天狗堂(ブログ)
- こいこい|花札の歴史・遊びかた、任天堂
- Summer Wars、ウィキペディア英語版
- 花札の謎シリーズ!『こいこい』って意外とあれなのね、大石天狗堂(ブログ)
- Nintendo Shares A Handy Infographic Featuring All 51 Worldwide Classic Clubhouse Games、Gavin Lane(Nintendo Life)(2020年5月25日)
- Nintendo Museum to open on October 2, 2024、任天堂(ニュースリリース)(2024年8月20日)
- ニンテンドーミュージアム、任天堂、宇治小倉工場の歴史
- Koi-Koi、ウィキペディア英語版、ゲームへの登場(『龍が如く』シリーズなど)
- 【龍が如く8】こいこいの攻略とコツ、ゲームエイト